過去に「リレーエッセイ」掲載されたエッセイです。

                                       
スポーツ指導サービス専門分科会
東京学芸大学連合大学院
越川 茂樹
2000.12.11


 スポーツ指導サービス専門分科会では、ここ2年にわたり、スポーツ需要の自然成長が加速する今日にあって多様化するスポーツ指導サービスの現場におけるスポーツ指導者の位置づけや役割の変化と今後のあり方を探るべく、実際に商業スポーツ施設の指導現場に出かけ、レッスンを見学し意見交換をするといったスタイルで研究会を行っている。これまでにテニス、スキー、ゴルフ、水泳の指導者と交流をもった。
 こうした取り組みのなかで、我々は現代社会に求められるスポーツ指導者像を見通す際に、指導者がどのようなスポーツ観と指導観をもつかが鍵となることを改めて痛感させられる。ハードすぎる競技スポーツモデルによる指導では、多くの人々をスポーツの豊穣な世界へと誘うことには限界があり、また、柔らかすぎるレクリエーショナルなスポーツモデルによる指導でも、スポーツが薄っぺらな営みで終わってしまう危険性が増大する。権威主義的な指導もお客のニーズに対応(迎合?)しようとするサービス観に支えられた指導も人々の豊かな生活を実現していく援助とはなりにくい。
 では、どのようなスポーツ観と指導観が指導者に求められ、どのような指導者像が期待されているのか。即答は難しいが、これまでの研究会活動を通して、指導者がスポーツの商品価値を単なる技術や知識ではなく、スポーツを評価し、享受し、実践する人々の能力や価値意識にあると理解することが必要ではないか。その上で、スポーツの文化性(生活に潤いと活気を与えるもの)とは何かを真剣に問い、人々のスポーツ生活に多角的な役割において貢献していくことが指導者に求められているように思われる。(指導者には、単なるニーズ迎合型の指導サービスを超えて、スポーツの文化としての尊さを顧客とともに探し求め、分かち合っていく指導サービスの提供が期待されているのではないか。)その際、とりわけ他の文化との相互のかかわりをも視野に入れることが今日ますます重要となっているように思う。これまではとかくスポーツだけをみてその文化性を捉えようとしていたのではないだろうか。そして、実はこのことがスポーツ理解を偏狭なものにしたり、その社会的地位がなかなか上がらないといった状況を後押ししているように思う。
 「井の中の蛙」では、指導者自らの生活も社会的になかなか安定したものにならないだろうし、スポーツ産業界自体も豊かな市場を展開することは難しいであろう。
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