過去に「リレーエッセイ」掲載されたエッセイです。

                                       
なぜ入場料を取るようになったか
筑波大学体育科学系
教授 佐伯 聰夫
1999.12.17


 3年ほど前から、スペクテーター・スポーツにおける観戦文化の研究を進めている。  つまり、スポーツを見る行動を制御する仕掛けの研究である。この研究を思い立ったのは、フーリガニズムに対抗する戦略として、警備強化等の力による制圧ではなく、望ましい観戦行動を導く仕掛けこそが有効ではないか、と考えたからである。2002年にワールドカップと一緒にフーリガニズムもやってくる。日本の若者たちがこのフーリガニズムに汚染されないようにするためには、自発的に観戦行動を制御する文化の成熟が望まれ、その基礎的な研究が必要だと考えたからである。
 手始めは近代スポーツの母国英国で、競馬やボート、クリケットやサッカーの観覧行動を対象に分析した。階級社会が色濃く反映されるスタジアム空間の編成やそのカテゴリーに特有の観戦文化が見られた。次は、スペクテーター・スポーツの王国米国であった。バスケットボール、フットボール、アイス・ホッケーを対象に分析した。エンタテイメントとしての演出に対応する観戦文化かが見られた。今年はアイルランドで民族スポーツのハーリングを対象に行った。エスニジティの表現とそのアイデンティティの確認が特有の観戦文化であった。
 この研究から、いろいろなことが見えてきたのであるが、ここで一つとても面白いことを紹介しておきたい。それは「なぜ入場料をとるようになったか」ということである。普通は、商売あるいは経営の視点で解釈することになる。つまり、「金儲けのためだ」とううことになろう。しかし、事実はそうではなかった。しかも、スポーツ界にコマーシャリズムが高揚する米国でのことである。実は、驚くことに、入場料徴収は「ゲームを混乱無く遂行するためのスペクテーター・コントロールの方法」として行われたのである。
 時は1860年代の米国、クラブ対抗戦が華やかな時代である。この頃になると、初期には紳士淑女の上品な社交場であった対抗戦の観覧空間は、一般民衆が数千と詰めかける大衆娯楽の空間へと変貌しつつあった。こうした変化の中で、例えば野球では、ひいきチームに賭け、熱狂的に応援する民衆が、審判を罵倒するだけでなく、状況が振りになると3塁を占拠してゲーム不能にさせたり、相手チームの選手に攻撃をするような暴挙を行うという混乱した状況が頻繁に生じていた。これを阻止し、フェアなゲームが行われることを確保する方策、それがフェンスで競技場を囲い、観客席を設け、入場料を払える者だけが見られるようにすることであった。つまり、チケット・セールはフェアなゲームと上品な観戦を守るために観客層を制限する方策なのであった。
 そして、このような意図から始まったこの方策こそが、その後の米国におけるスペクテーター・スポーツの驚異的な発展を導く大きな鍵になったのである。危険のない、安全で快適な観戦空間の確立こそが、スペクテーター・スポーツの商業的発展の必要条件だからである。
 ところで日本では、2002年を迎えて素晴らしいスタジアムがいくつも作られる。それが入れ物だけでなく、ゲームと観戦の素晴らしいシンフォニーにあふれた公共空間を創り出すためには、「観戦文化の成熟」というコンセプトも重要な意味を持つと思えるのだが。如何でしょうか。
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